投稿者「福原友裕」のアーカイブ

笛を吹くことが楽しくあるために

最初は音が鳴る、短いフレーズが吹ける、譜面が読める、間違えることが少なくなる、吹ける曲が増えるなど、出来ることが増すたびに楽しいでしょう。しかし一通りそれらが当たり前になった時、自分の吹く笛がどのように変わってきたのか、伝わってりるのかを知りたいと思えば、まだまだ先があります。

同じ曲であっても、時間が経ちもう一度吹いてみると出来ばえの違いに気づいたり、響きを聞いてみて、それが聞く人にはどのように伝わるのかなど、続けて来た期間が長くなるほど深く、時間がかかりますが、楽しみ方は変化して行きます。それは楽しい時間が続くということです。

見渡し方や見習い方、見つけ方など、先生というのは方法を教える人であって、自分自身で言われたことを実践しない人は、この域あたりから成長が止まります。面倒くさいから教えてくれという心がけでは、面白くなくなります。生徒から弟子に、先生から師匠に、お互いがそういう意識になれなければ、学校と同じで卒業ということになるのかもしれません。

昨年、先代のお家元に習っていた方が17年ぶりに笛を習いたいと私の教室にお越しになり、変わらない当時の福原流のフレーズを聞き、私の笛は17年前のとはかなり異なったものであると改めて気づかされます。

歳を重ね、教えていただくことは無くなり、習い始めた頃のようには楽しくもなく上達もしない、そして得たものはたくさんあっても失ったものもある、悔やまれる気持ちもあります。しかしそれでも今もなお笛と関わり続けているのは、私もまだ知らないこと、やっていないことが山ほどあり、とにかく「飽きないから」に尽きます。

笛を吹けなくなるまで続けることができたら、どんな笛を聞いても楽しい、そんな境地なのではないかと、とにかく続けるということには何か良さを感じます。

良い篠笛・悪い篠笛

篠笛とは、竹の種類の中では細く1節が長い篠竹から作られている横笛です。その篠竹に、吹くための唄口と、指を押さえる7つ(6つのものもある)の指穴を開け、唄口のところに詰め物をしたら、とりあえず篠笛の完成です。そこから管内に漆を塗り、外装に細い籐(ラタン)を巻いてあるのが一般的です。

カシューと呼ばれる合成漆やその他漆以外の塗料が塗られている廉価版もありますが、これらは経年変化による音色の変化が少なく、演奏者としては今ひとつ魅力に欠ける部分です。

指穴を均等、同一に開けてある旧来からの囃子用(はやしよう)と、近年は調律を施された唄用(うたよう)に大別されますが、唄用の調律については製作者の考え方が様々で、用途(ジャンル)に合った篠笛を使うことが必要です。いろいろなジャンルを演奏したいとなると大抵1本購入しただけでは上手く吹けません。ちなみに私は洋音階、平均律のものではなく、六代目福原百之助師が実用化した改良笛を中心に使用しております。

最初に見たものを母親だと思うアヒルのように、一番最初に手に取る、耳にする篠笛が何であるかはとても大切なことです。音を聞いたことが無い、実物を見たことが無いなど、詳しくない方がインターネットで安易に購入され、自分でやってみようと思ってもまず上手くゆきません。

良い篠笛とは、他者が良い篠笛だと言ったから、インターネットで評判が良いからというのは参考にしかならず、実物を一番最初に見て「これだ!」と思える直感、見た目でしかありません。

製作者の篠笛を拝見、試奏させていただき、また研究の中で思うのは、篠笛は同じ製作者であっても個体差が大きく、しかし長所と短所のトータルはほぼ同じであるということです。過度に調律の精度を求めると、一番良い音色かつ正しい音程というバランスが崩れる原因になり、扱いづらい笛になります。見た目の次に重要なことは、多くの皆様が思う音程の良し悪しではなく、篠竹本来が持つ特性(くせ)に正直で、ちゃんと向き合えば思う音色が出ることです。

演奏者に求められるもっとも大切なことは、手に入れた篠笛に愛着を持つことに尽きます。つまり良い篠笛は愛着の持てる篠笛であって、悪い篠笛は愛着が持てない篠笛ということです。

高い音が出ない

多くの篠笛初心者の「壁」ですね。

1 篠笛が日常的に聞きなれない音でイメージが届いておらず、よって狙った所に当たらない

2 鳴らしたい音が鳴らなければ、どんな音か、誰かの演奏を聞きましょう

3 安物の篠笛は安っぽい音がし、そもそもイメージとかけ離れているかもしれません。何ともならなければ、確かな篠笛を買いましょう。

 

篠笛が上手になるには

※ 誰かの演奏を聞く
※ 借り物ではなく、自分の楽器を買う
※ 音を出す仕組みを理解する
※ 指使いを覚える
※ 譜面を読めるようにする
※ 鏡を見る
※ 自分の音を録音して聞く
※ 音程をつけて歌う・吹きながら歌う
※ 篠笛を何度もよく見る
※ 上手くゆかないことを楽器のせいにしない
※ 出来るまで時間がかかっても諦めない

思いつく限り、これ以外にもたくさんあります。
1つでも面倒くさがらず向き合えば、必ず上手くなります。

 

 

音楽関係のお仕事のをされている方へ

私が小学校で教わった音楽の先生、この先生は当時の音楽教育が洋楽のみであることに疑問を持ち、自費でいろいろな先生に邦楽を習い、楽器の研究、製作を経て、水道管にドリルで穴を開け、篠笛や能管を作って教えてくれるという何とも風変わりな先生でした。そのような、指導要領を超えた独自の指導方法は、今思えば問題だったかもしれませんが、現在では私も含め多くの教え子が東京芸大に進学し、演奏者となり、それはそれだけ先生が魅力的だったからだと思います。

先生はその後、自費でプラスチック製篠笛や能管を設計・製作し、音楽大学、学会等出入りし、おそらく「音楽の授業に邦楽を」と熱心に働きかけていたのでしょう、その熱意が多くの有識者の心を動かし、文科省に通じたことで、現在は中学校で音楽の授業に和楽器が組み込まれたと、私は勝手にそう思っています。それから16年たった今、和楽器の偏見(注)は薄れ、特殊だという感覚は少なくなったことは良かったと思います。

しかし演奏者となり、専門家となって久しい現在思うことは、和楽器が持つ存在感は洋楽器のそれとは異なり、音楽も異なるもの、和洋が混ざり合うのは間違いで、純粋な邦楽の演奏形態を見せる環境が本来であって、現在はその魅力を正しく生徒に伝えられていないように思います。

多くの先生方は時間的にも金銭的にも、本格的かつ純粋に邦楽を学ぶのは難しいのは分かりますが、カルチャーセンターや、体験教室など、少しだけ雰囲気に触れた経験と教員経験を応用し教えようというのは、私から見ればまったく熱意の感じられないことから、音楽をご職業の方は体験から有料とさせていただいている次第です。

自身の音楽経験(音大卒や留学など)を自慢する方は数多くお目にかかりますが、教え子を育てあげたいという熱意ある音楽教諭は、残念ながらあまりいないように思います。そういう熱意ある先生が世の中にどれほどいらっしゃるのか分かりかねますが、少なくとも私の教室には、純粋な邦楽を学ぼうという熱意ある先生のみお越しいただきたいと思います。

また、和洋どちらの音楽がすぐれているかなどと申すつもりは毛頭ありませんが、音楽関係のお仕事をされている以上、私に習うならば生徒、あるいは弟子としてそれなりの敬意は払っていただきたいたく、私が他の楽器を習う時もそのように思うため、同様に有料とさせていただいております。悪しからずご了承ください。

注)女性が三味線を弾けば芸者になりたいのかと言われたり、尺八は女性が扱う楽器じゃないと言われていた昭和時代