撮影:三浦真琴(maco)
お囃子プロジェクトにて

福原 友裕(ふくはら ともひろ)

略 歴

東京藝術大学音楽学部邦楽科、同大学院修士課程終了の後、 四世宗家山左衛門(六代目福原百之助)師より福原友裕と名乗ることを許され、福原流の邦楽囃子(笛)方としてプロの演奏活動をはじめました。今まで国立劇場や歌舞伎座、サントリーホールやフランスのオペラ座、北京の梅蘭芳大劇場など、いろいろなコンサートホールや文化施設で長唄演奏会、日本舞踊会、歌舞伎公演などに参加、活動してきました。またジャズやクラシック、コラボレーションのイベントなどに参加し演奏の幅を広げています。
篠笛と能管の指導を豊島区南大塚にて行なっています。また一般社団法人長唄協会の会員として、微力ながら長唄の普及にも尽力しています。

邦楽囃子方(ほうがくはやしかた)

歌舞伎音楽の打楽器(小鼓・大鼓・太鼓など)と笛を担当する演奏者を囃子方といいます。近年は歌舞伎音楽に留まらない活動をするようになり、それに伴って、和楽器を用いる音楽の総称が邦楽であることから「邦楽囃子方」となっています。囃子方は長唄という三味線音楽を基礎とし、同じ楽器を用いる能楽や、江戸の祭囃子の要素を学びつつ、その後清元や常磐津・義太夫といった浄瑠璃など邦楽全般をこなします。プロになるためには弟子入りする、または東京藝術大学音楽学部邦楽科の邦楽囃子専攻で学ぶ方法があります。歌舞伎専従の囃子方は独立行政法人日本芸術文化振興会の養成事業に応募し研修を受けます。

福原流(ふくはらりゅう)

福原流は江戸時代からある囃子方の流派で、現在七代目です。後に人間国宝となり囃子方の総称とされる「四世宗家寶山左衛門」と名乗った先代家元の六代目福原百之助は笛の名手で、現在主流となった調律笛(唄用篠笛)の開発者でもあります。先代家元「笛のための曲」を数多く作曲し新たな邦楽の一ジャンルを作りました。その曲に惹きつけられ指導を受けた多くの門弟が現在もプロの演奏者として活躍しており、私もその一人です。

長唄(ながうた)

長唄は歌舞伎の音楽として発展した邦楽ジャンルです。三味線と唄が基軸となり、そこに囃子方の楽器(笛・小鼓・大鼓・太鼓)が重なる構成になっています。明治時代からは演奏のみを楽しむ形も盛んになり現在に至ります。長唄は様式をできる限り崩さない浄瑠璃音楽より表現の制約が少なく、新しい音階・奏法・リズムパターンを工夫し取り入れてきました。その中で曲の解釈の違いから現在は長唄にも様々な流派があり、各流派ごとに「手」と呼ばれる決められた奏法があります。中でも三味線と横一列に並び、その前に囃子方が同じく横一列に並ぶ、唄(歌)が主役で楽器が伴奏という演奏形式ではないことが非常に珍しく、そのため唄だけではなくそれぞれの楽器の魅力が引き立つようになっています。

笛のこと

笛の魅力は、音程によって均等ではない音量や音色が自然と音楽的な抑揚や揺らぎを生むことです。幅広い表現力があるだけに繊細で、演奏者の意思が抜けたり揺らいだりするとそのまま音に出てしまいます。最初は自分に何が起こっているのかなかなか理解できませんが、それが分かってくると笛を吹く時以外もそうならないように気をつけるようになります。
構造的には自然の竹(篠竹)に穴を開け、穴の形状や大きさを整えてゆくだけというとても簡素な作りです。メカニカルな作りではないためか製作者の違いは音楽への意識の違いを大きく感じます。近年は音が大きく音色が太いことや、音程が合っていることを重視する演奏者や製作者が多いですが、そういう点では、音の大きさや音程重視で仕上げる方向性が必ずしも正しいとはならない気がします。経験上は、大きい音がしているような、音程があっているような感じがちょうど良い加減で、演奏者の意思を載せないでも音が大きく出たり、音程が合う笛は単調な表現になりがちになり、やはり意思が抜けたり揺らいだりするとダイレクトに音に出る方が、篠笛は面白いと思います。
音楽は聞いてもらうもので聞かせることになってはいけないと常々感じます。技術的にピークだった20代の頃は思い通りに吹きたくてムキになっていることもあり、当時の録音を聞くとそれはそれで良い所はあるのですが、そういうのは音楽をよく分かっている人たちには良い印象にならず、大抵は批判の的になります。今はムキになって吹きたくても吹けなくなってしまい、逆に誰からも芸のことで批判されることは無くなりましたが、私としてはもう少し若気の至りを思う存分やっておけば良かったと思うこの頃です。
プロもアマも外野も、人はいろいろ言いますが、誰の言うことを聞かずとも、自分のやりたいこと・やってみたいことを貫くことが大切なのではと思います。大分回り道を致しましたが、演奏者としてのこれからはもう少し自分の気持ちを大切にしたいと思います。また弟子たちは、もう少し自分で考えたことで私を唸らせてくれたらと期待します。