音楽の先生がたへ

私が小学校で教わった音楽の先生、この先生は当時の音楽教育が洋楽のみであることに疑問を持ち、自費でいろいろな先生に邦楽を習い、楽器の研究、製作を経て、水道管で篠笛や能管を作って教えてくれました。当時小学校で、そのような独自の邦楽を教えるのはある意味問題だったかもしれません。しかし、私も含め多くの教え子が東京芸大に進学し、演奏者を目指したことは、それだけ先生がその魅力を伝えていたからだと思います。

先生はその後、やはり自費でプラスチック製篠笛や能管を設計・製作をし、音楽大学、音楽学会等に「音楽の授業に邦楽を」と熱心に働きかけていました。その熱意が多くの方々に通じ、多くの学者さん方が文科省に働きかけたたことで、2002年に中学校で音楽の授業に和楽器が組み込まれた、と勝手にそう思っています。

16年たった今、戦後から昭和の時代にあったような和楽器の偏見(注)は薄れ、和楽器を習うことが特殊だという感覚は少なくなったかと思います。しかし専門家になって久しい今になっても、和楽器が持つ存在感は洋楽器とは異なり、同時に邦楽の良さも異なるもの、その独自性は、和洋が混ざり合うよりも何倍も魅力的なものだと改めて思います。

残念ながら多くの先生方は大変忙しく、時間的に余裕が無いのが実情かと思いますが、邦楽を教えるということは、少し習った後に経験を応用して何とかなるというものではなく、先生方が音楽の先生になるに至った努力とほぼ同等の経験を1から学び直すことで、簡単なことではありません。

教員人生の中で、どういう教え子を排出したいかは皆様それぞれかと思いますが、私のように音楽の先生がキッカケで演奏者になった身としては、和洋問わず、音楽を志す生徒が育つ、熱意ある先生が一人でも多くいてほしいと願います。

注)以前は三味線を弾きたいと言うと芸者になりたいという意味であったり、縦笛(尺八)は女性が扱う楽器じゃないと思われていた時代もあったそうです

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